インタビュー

私らしく人生を歩みたい―。
そうは思うものの、そもそも「私らしさってなんだろう」と疑問が浮かぶ人もいるはず。
「La-Chic」では様々なフィールドで「私らしく」生きる女性=“ラシカりすと”達にインタビューしながら、読者の皆さんと一緒にそのヒントを見つけていけたらと思っています。

今回のラシカりすと

澤井 寧⼦さん

合同会社アナタラシック

澤井 寧⼦ さん

縁もゆかりもない⼟地で⾒つけた
私らしい⽣き⽅【前編】

今回インタビューをさせていただいたのは合同会社アナタラシック代表の澤井寧子さん。
アナタラシックでは、イベントやセレモニーなどの司会業、ナレーション、モデル・俳優業などを行う芸能事務所です。その他にも澤井さん自身はマナー研修や話し方講座、ウォーキングレッスンなど立居振舞に関する講師としても活躍されています。
また美容事業として「アイラシック」というエステティックサロンで化粧品販売と美顔施術を行うなど幅広い事業展開をしています。

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地方だからこそ
自分の経験が強みになる。

澤井さんは福岡県生まれ。転勤族の家庭で育ち、幼少期のほとんどを横浜で、中学・高校時代は東京都と首都圏での生活を送ってきました。

そんな澤井さんは40歳手前のころに転勤に伴い、富山に引っ越してきました。

「芸能」という、富山では需要の低そうな業種で独立・開業。2021年4月には法人設立もしています。澤井さんは「これまで首都圏で経験してきた芸能の経験は、人の魅力を引き出すスキルとして身についている」と気づき、《私の経験は、地方である富山だからこそ強みとして発揮できる》と確信して事業を展開してきたといいます。

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コンプレックスだらけの子ども時代から一転。
スカウトで華やかな芸能の世界へ。

「幼少期は、色白くて細くて、しかも内向的な性格だったのでいじめられることもありました。当時は歯科矯正もしていたので、それもコンプレックスになって笑顔も少ない子どもだったと思います。そのせいなのか友達も少なく、さらには大学を浪人したので友達がゼロになったこともありました…。浪人時代には両親からの圧も感じ、引きこもりがちになったこともありましたね。」

そう子ども時代を振り返る澤井さんですが、そんな彼女を支えてくれたものが《バレエ》でした。バレエをきっかけに自信を取り戻し、テーマパークでのダンサー経験も積むわけですが、人生は順風満帆…とはいきません。

ダンサーとしての就職を希望するものの断念し、OLに転身。しかし3か月で辞職し、震災ボランティアを始めます。2年間のボランティアを経たあと、偶然立ち寄った展示会でモデルのスカウトを受け、再び芸能の世界へ足を踏み入れました。

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結婚、出産、転勤。
孤立・孤独からの脱却。

スカウトを受け、華やかな芸能の世界を知ることで「自分の魅せ方」「ショーの作り方」を体現し、学んだ澤井さんですが、モデルとして活躍するには身長が足りず再び劣等感を抱くようになります。その後、芝居の世界に魅了され、29歳で都内三大楽団とも言われる“文学座”の養成所に入所。司会業などで収入を得ながら、芝居を学びますが、結婚相手の仕事の転勤により富山へと引っ越すこととなります。

しかし、富山の地で待っていたのは、慣れない環境での孤独・孤立。さらには育児と介護が加わり、ついには過労で澤井さんの精神状態は限界に達してしまいました。

「夜逃げならぬ、昼逃げを計画しだしたんです(笑)。もうこのままでは子どもたちを守っていけない、そう思ったので、同じマンションにもう一室借りて、少しずつ少しずつ移り住んでいったんです。別居生活が始まり、のちに離婚。別居生活が始まったころから、“自分がやれることはなんだろう”と向き合いだすようになりました。」 このことが大きなターニングポイントとなり、澤井さんは長年つかめなかった「私らしさ」を見つけ出すことに成功します。

後編では澤井さんが私らしく生きるために大切にしていること、実践したことなどを具体的にお伺いしていきたいと思います。

澤井 寧⼦さん
プロフィール

澤井 寧⼦ さん

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合同会社アナタラシック代表。神奈川出身。
現在は富山市在住で、二児の母。