常識なんて存在しない―。
心地よい空間と生きる。【前編】
サンパティーというのはフランス語で「共感・親近感」などの意味を表しますが、藤野さんが運営するサンパティーはまさに藤野さんが作り出したい空間に共感した人たちが偶然にも巡り合い、出来上がったシェア空間となっています。サンパティーのホームページには「食べて・癒されて・体験出来る村」と表現されています。今回は、このサンパティーがどうして生まれたのか、原点~未来まで藤野さんの人生観も含めて話を伺ってきました。
バブルを知らないバブル世代。
シャドーボックスとの出会いと夢。
サンパティーが出来上がるまでの軌跡を語る前に、まずは藤野さんのこれまでについてご紹介したいと思います。藤野さんに、これまでどんな生き方をしてきたのかを訪ねるとその始まりは「21歳」のころだと教えてくれました。
「私はバブルを知らないバブル世代なんです。21歳で妊娠・出産を経験し、友達がバブル時代を楽しんでいる間、私は毎日必死に子育てに明け暮れていました。周りが旅行したり、キャリアを築いたりしているのに、自分は我慢ばかりの毎日で、将来が不安でいっぱいでした。」
そんな中、子どもの幼稚園が一緒だったママがシャトーボックスという作品を作っていることを知ります。その繊細な美しさに魅了され、「欲しい」と申し出ますが、シャドーボックスは完成形も魅力だが、作ることにその醍醐味があるのだと教えられます。
「シャドーボックスが自分で作れることを知ってからは毎日のように製作に明け暮れていました。シャドーボックスの先生のもと、気づけば3人のチームになって活動をするようなっていました。」
この頃から、“母親にはこういった息抜きの時間が必要だ”と強く考えるようになったといいます。そして、徐々にそれを作りたいと思うようになったといいます。
想いを現実に。
行動と決断で得た理想への一歩。
2000年頃のこと。カルチャーセンター等を拠点にしながらシャドーボックス教室を開くまでになっていた藤野さんは、ますます当時からの想いを募らせていったといいます。
「家族の中でお母さんの存在は一番大事。お母さんが笑顔で過ごせるためのストレス発散ができる時間を作りたい。お喋りも楽しめて、時に集中して達成感を得られたり、気持ちが晴れる場所を作りたい、その想いが日々強くなるのを感じていました。」
その想いが現実になるのはそれから15年後のこととなりますが、その大きなきっかけは、土地の競売物件情報でした。普通に暮らしていたらそんな情報を耳にすることすらないと思いますが、その土地が藤野さんの自宅のすぐ裏手だったのです。
「自宅のそばに自分の目指す場所があったら…」そう思うものの、土地を買うという大きな決断に二の足を踏みます。それはすごく当然のことです。
しかし、奇跡は再び訪れます。競売物件の土地に様々な不都合な条件が重なり、一般の企業は欲しいと言わないのです。どんどんと値段が下がり、ついには 「これなら私でも手が届くかも」と思えるラインにまでなってきたというのです。これなら!と思った藤野さんは家族での話し合いを重ね、ついに競売に手を挙げ、落札に成功するのでした。
ヒト・モノ・コトとの運命の出会い。
サンパティー=共感の素晴らしさと葛藤。
手に入れた土地を整地した頃、整った土地を見て、多くの不動産会社から「土地を売って欲しい」とオファーがあったといいます。藤野さんは「もしかしたら、この土地には自分が思うよりも価値があるのかもしれない」と思い、まずは自宅を建てることを決意。続けて、その場所にトレーラーハウスを設置することも計画するのです。
「トレーラーハウスを設置することに決めたのは、土壌汚染の問題がないか不安があったことと、トレーラーハウスは固定資産税がかからないと知ったことがきっかけでした。そのころには、トレーラーハウスを設置して、そこをテナントとして貸し出すことも計画していました。」
訊けば、そのトレーラーハウスの借り手も運命的な出会いの連続でとんとん拍子に決まり、その後も人との偶然の巡り合わせや紹介などを経て、全てのトレーラーハウスの借り手が決まったといいます。
全て順風満帆。若いときに苦労したご褒美が全て巡ってきたかのように思える藤野さんの計画ですが、苦労がなかったわけではないといいます。後半では、藤野さんの苦労や葛藤、そしてこれからの未来について伺います。