インタビュー

私らしく人生を歩みたい―。
そうは思うものの、そもそも「私らしさってなんだろう」と疑問が浮かぶ人もいるはず。
「La-Chic」では様々なフィールドで「私らしく」生きる女性=“ラシカりすと”達にインタビューしながら、読者の皆さんと一緒にそのヒントを見つけていけたらと思っています。

今回のラシカりすと

宮袋季美さん

特定非営利活動法人ふらっと

宮袋季美 さん

自分ってサイコー!って思える瞬間を
持つことが死ぬまでの宿題【前編】

唯一無二の富山型デイサービスを開所し早20年。お金もない、誰にも認められない。制度もない…そんな、障がい者の預け先がない時代に富山型デイサービス「ふらっと」を開所した宮袋さん。そのバックボーンや生き様に迫ります。

きっかけは長男の重度障害。
親が子どもの面倒をみるのは当たり前?

約30年前、宮袋さんのご長男が自閉症だと診断されました。知的障害の子は養護施設に行くのが当たり前の時代。家の目の前に小学校や中学校があるのに、なぜか養護施設ははるか山奥。放課後に過ごす場所もなく、当時は本当に大変だったそうです。

スーパーに行ってはダイブして走り回る息子。ヤンキーあがりの派手派手な宮袋さん。児童相談所に通報されることもあったそう。

そして、長男が小学校にあがるころに次男を妊娠。その頃にちょうど、「富山型デイサービス」という、子ども、お年寄り、障がい者が一つ屋根の下で過ごす施設を作るための活動もはじまったといいます。

「子どもは親がみるのが当たり前」――そんな声に対する不満を持つ母親たちが動き出し、障がいを持つ子どもたちの居場所を作るため、議会に何度も提案しました。そしてようやく公設民営というかたちで陳情が通り、富山型デイサービス「ふらっと」が誕生したのです!
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「自分の人生はこれからどうなるんだろう…」
母親が幸せになるには、どうしたら良いの?


「今までで一番大変だったことは?」と尋ねると、「長男が小さかった頃。バチが当たったんじゃないかと思った。」と語る宮袋さん。
何もわからない、誰も頼れない。いつか子どもの障がいが治るんじゃないかと、いつまでも現実を受け入れられない自分――。

宮袋さん自身、幼少期に父親のDVを受けていたため家庭に自分の居場所がなく、「母親が幸せ」というイメージが全くなかったといいます。そんな壮絶な幼少期を過ごした彼女だからこそ、ふらっとは“人間らしく”いられる場所を目指したそうです。

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「私、アーティストになりたかったんです!」


長男誕生前までは、日本赤十字病院(全寮制)で働き、看護師を目指していたという宮袋さん。志半ばで退学になり、その後はライブハウスでバンド、喫茶店、ホステス…など、さまざまな経験が彼女を形成しています。

ただ、元々アーティストになりたかったという宮袋さんだからこそ、『0から1を作り出すこと』がとても楽しいんだそう!既存のものをバージョンアップしていくよりも、0から作り出すほうが圧倒的に困難で大変な道のりなのに、いつも彼女は笑顔です。それは、「宮袋さんに任せたい!」「宮袋さんと一緒にやろう!」と言ってくれる周りの人たちがいるからこそ。
 

「ちょっと強引にでも、周りに頼った。意見を言いまくった。喧嘩する勢いで動いた。
だから、ふらっとが生まれたんです」。
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後編では、宮袋さんのこれからの未来展望や信念などを深堀りしていきます。

宮袋季美さん
プロフィール

宮袋季美 さん

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特定非営利活動法人ふらっとの代表。
障がいのある人だけでなく、子育て世代を含む様々な年齢の人が交流できる【富山型デイサービス】を開所。
自身も、障がいのある子どもを育てる2児の母。