出来ることも出来ないことも
全てが「自分」と認めること【後編】
自分のやりたいことは自分で選択する。
子ども達に伝えたいことは自ら実践する。
―アメリカ留学後、28歳に帰国し、最初の仕事はどんなものでしたか?
最初は私が高校時代に通っていた山村留学先の指導員として働き始めました。
入社当時は財団法人が経営していたんですが、途中でその財団法人が事業から手を引くことになって…。私にとっては故郷のように感じていたその場所がなくなるのも嫌だなぁと思っていたら、村が中心となったNPO法人が立ち上がったんです。それでそのままNPO法人の運営に携わることになりました。社会経験もほとんどないのに、NPO法人の運営なんて右も左も分からなくて。経営もしなきゃ、マーケティングもしなきゃ、事務もして、運営もして…。そんな風に忙しく過ごしていたら、「私は本当にこれがやりたかったんだろうか」と思うようになったんです。
しかも、参加する子どもは右肩下がりで。財団法人としてのネームバリューがなくなり、NPO法人で運営するということは、村の名前だけで勝負するというでした。でもそれがチームとしてうまくまわらなくて。結局、35歳の時に辞職しました。
その後は、「移住交流事業を手伝って欲しい」と市役所に声をかけてもらったことで転職先が決まり、自分がどんな仕事をしたいかについて向き合い始めました。そして、改めて「交流する」、「人と人を繋げる」ことが好きなんだと認識出来たんです。
その後、夫と結婚し、仕事の任期が満期になったこともきっかけとなり、夫が暮らす富山県へ移住しました。
「自分の好きなカタチ、好きなスタイルでキャンプをしていこう」と決意したのは、この時でしたね。
富山へ行くときには、もう「やろう」と決めていました。
―初めての土地なのに、起業するという覚悟…。よく決まりましたね。
どうしてもやりたかったんです。キャンプの指導員が。
子ども達には、自分たちの人生を自分たちの足で歩けるようになって欲しい。子ども達が成長していく様が好きなので、子ども達が「自分らしく生きていく」きっかけを生み出せるなら挑戦したいと考えていました。
それに、初めての土地で、何もしがらみがなかったからこそ、思い切れたんだと思います。
移住後しばらくして、妊娠・出産を経験しました。しばらくは活動ができなかったわけですが、我が子が出来たことで、ますますこの子たちに環境を作りたいという想いが強くなりました。
キャンプというツールを使って、子ども達に場を提供したい―。
0歳・1歳の頃にはキャンプはまだ難しいから、何か日常的なシーンで出来ることはないかと思い、青空英語サークルをしたり、子ども達の表現力教室をやってみたり、いろいろ試していました。
また、つながリンク教室という、子ども達がしたいことを実現する教室も開催していました。
例えば、子ども達が食べたいものをみんなで作ってみる、とかそんなことを週1ペース開催していたんです。
そのうちに参加するお母さん方からも「キャンプやってよ」と言われるようになり、娘が6歳になったタイミングで、キャンプを再開しました。
けど、しばらくして継続する難しさにぶつかってしまい…。
「生きる力」って何だろう…と考え、カリキュラム化する、ということしてきましたがうまくいきません。そんなとき、野外活動のプロの方と出会い、これが転機となりました。
その方に学び、カリキュラムを作り上げ、今のカタチになってきました。
野外教室で得て欲しいことをまとめ、年代に合わせた「培って欲しい力」も可視化し、スタッフには共通言語として共有するようになりました。子ども達との接し方・伝え方を学び、リスクマネージメントについても身につけたんです。
今も昔もキャンプはずっとしてきたこと。
その経験が積み重なり、今は野外教室・教育として形成されているんです。
一番身近な大人を見て
子どもは学び、表現する。
―野外教室のことを経営しながら、子育てもされていますが、働く母親の姿を見て、子ども達はどんな風に感じていると思いますか?
家で仕事をしているので、大変なことも見ていると思うんです。
特に上の子(小6)は、しっかりしているので、理解してくれていると思います。
うちのキャンプでは、じゃんけんと多数決を禁止しています。その影響もあってか、娘は学校で少数派の意見になっても声を挙げるタイプです。何故話し合いをしないのかが理解できない…と葛藤しているようです。
「言うタイミングと、言い方もあるんだよ。それを勉強するチャンスだよ」と伝えていますが、よく学んでいると思います。とはいえ、心が折れてはダメだから、どうしても辛いなら学校を休んでもいい。けど、逃げることだけはしないで、と話しています。学校の先生からは下の子(小3)も「しっかりしている、リーダーシップがとれている」と言ってもらえているので、伝わっているんだなと思うと嬉しくなりますね。
―ご主人の理解は?
夫は「あなたの好きなようにやりなさい」と言ってくれます。私が感覚的に「なんか違うっ!!でも言葉にできない!」ということも、言語化してくれるのが夫です。
とはいえ、まだ事業として好循環になっていない部分もあるので、頑張らなきゃと思います。
子どもの”やりたい”に寄り添うには、理解ある大人(スタッフ)の手がたくさん必要で、そうなれば人件費は増えるし、内容が濃い分誰にでも出来る仕事ではないんですよね。事業として確立していくことが今の課題です。
これからも挑戦し続ける
人生を送りたい。
―様々な出会いや経験があったと思いますが、これまでに人生が変わるターニングポイントはありましたか?
そうですね。本当のターニングポイントはまもなく…と思ってます。
今は、とにかくちゃんと事業化することを考えています。
実は、2021年3月に一般社団法人を立ち上げたんです。子ども達にもっと冒険をさせようという想いで、「一般社団法人 小さな冒険学舎」と名付けました。これまでの「つながリンク」の実績や想いも組み合わせて「一般社団法人 小さな冒険学舎」として事業を拡大させていきたいと考えています。
また、これまでは参加者さんやお母さん方との繋がりはあるけれど、起業家仲間との繋がりは希薄なので、これからはそういった繋がりが私には必要だと感じてます。
―最後にこれからの目標を教えてください。
将来的には、5泊とか1週間のキャンプも実現したいですね。地域交流や国際交流といったことにも挑戦したい!子どもがもう少し大きくなったら、どんどん挑戦したいですね。
70歳までは挑戦し続けようと思っています。
70歳になったら、私が指導してきた子がこの活動を引き継ぎ、私は縁側でゆったりと過ごし、活動を見届けること、これが私の理想の未来です。
・・・
様々な経験や人との出会いの中で刺激を受けながら、「私らしさ」というものは形成されていくのだろうけれど、それを見つけるための環境を子ども達へ提供している関さんの活動から学ぶことはたくさんありました。
そんな関さんに「関さん自身が考える”私らしさ”とは?」と尋ねると、
いつも前向きで、夢に向かって突き進むこと。
自分の人生を自分と周りの人の力も借りながら切り拓いていくこと。
私らしくあるためには、まずは自分のできること、好きなことだけでなく、できないことも丸ごと受け入れることから始まると思います。
と話してくださいました。