インタビュー

私らしく人生を歩みたい―。
そうは思うものの、そもそも「私らしさってなんだろう」と疑問が浮かぶ人もいるはず。
「La-Chic」では様々なフィールドで「私らしく」生きる女性=“ラシカりすと”達にインタビューしながら、読者の皆さんと一緒にそのヒントを見つけていけたらと思っています。

今回のラシカりすと

廣瀨圭子さん

くらんべりーK

廣瀨圭子 さん

全ての出来事に感謝。
「おかげ」で今の私がいる。【前編】

とにかく人と関わるのが大好き!という廣瀨さん。
長年務めた会社を早期退職後、フラワーアレンジメントやキャリアコンサルタントを軸に人を笑顔にする活動をされています。彼女を突き動かすものは何なのかー。前編ではそのきっかけについてお伺いしました。

1人ではなく、みんなでやっている。
そう気づいた時にモチベーションを取り戻すんです。

ーまず、40年続けた仕事を早期退職されたきっかけは何だったのでしょうか。

私は吉田工業株式会社(現YKK株式会社)にスカウトされ、実業団ソフトボール部員としてスカウトされて入社しました。入社後は、情報システム部門でファスナー製造の生産管理基幹システムの構築に携わり、その後、人事部門等で社員教育の仕事をしていました。

女性だからと酷い扱いを受けたり、プライベートで辛いことがあっても、私の昇格を「廣瀬さんが昇格したってことは、私たちがやってきたことが認められたってことですよね!」と私以上に喜んでくれる仲間がいたり、リーダーとしての姿勢を学ばせてくれる上司がいたり、本当に人に恵まれていました。仕事もとっても楽しかったです。

大好きだった仕事を辞めたのは、50歳の時にキャリア研修を受け、自分の人生を見つめ直したことがきっかけです。その時に、将来はお花をツールに世の中の人と楽しむことができたらいいな、とぼんやり思ったんです。それで58歳で早期退職を決めて、3月31日まで仕事をして、4月1日からNPO法人ここらいふ」で新しい活動を始めました。

 

 

人生の節目節目に、今後の人生を考える。
ぼんやりした考えも、その後の生き方に反映される。

ーNPO法人ここらいふで活動をするのは、どういうきっかけだったのですか?

人事の仕事に生かすために心理相談員の資格を取得していました。その更新研修に行った時に、ここらいふの創業者と出会いました。会社で受け入れをしていた発達障がいの方の対応に悩んでいて、グループワークで相談したら、たまたま偶然、同じ方をサポートしている方だったんです。

100142_01.jpg

それからここらいふと情報共有をすることで、お互いがフォローすることができるようになって、とてもやりやすくなりました。こんな風に、職場と福祉のトライアングルでサポートができれば、双方にメリットがある。そして、それは、私の求めていた「関わり方」だなと思い、離職後もこんな関わりができたらいいなと思って、「ここらいふ」の活動に参加するようになりました。

会社員としての最後の一年は、会社の了承も得て、「ここらいふ」のスタッフとして経験を積ませてもらい、自分としては、ごくごく自然に切り替えることができました。

 

 

子どもたちはいつもポジティブ。
「頑張っているママが好き」それが原動力。

ー3人のお子さんとの関わり方はどのようにされていたんですか?

大型連休も出勤することが多く、日々の残業も多く、実家の親や社会福祉協議会の子育てサポートの協力を得ながら頑張ってきました。子どもとの関わりは時間の長さじゃないと思っています。

実は、40代半ばまで続けていたソフトボールを30代半ばでやめようかと思ったことがあるんですが、当時小学4年生の息子に「頑張ってるお母さんが好きだからやめんといて」と泣かれて…。一緒にいる時間の長さではなく、関わり方が大事なんだなと思いました。ちゃんと背中を見ていてくれていたのかなって(嬉)。

今では子どもたち3人と友達のような関係になっていて、一人一人に支えてもらっています。人生を振り返って、ここまで頑張れたのは子どもたちのおかげだと思うんです。

頑張っている私を認めてくれていて、応援してくれていた子供たち。家にいるときは、金魚のフンのように一緒に居て、喋りまくっていましたね(笑)。結果はどうであれ、一生懸命に頑張ることの大切さを母子共々学んでいたようにも思います。

100142_02.jpg

 

-後編へ続く。

廣瀨圭子さん
プロフィール

廣瀨圭子 さん

ラシカりすと File023

・くらんべりーK 代表
・NPO法人ここらいふ 副理事長
・国家資格キャリアコンサルタント(国家資格)
・コミュニケーショントレーナー
・健康生きがいづくりアドバイザー