病気と共に生きていく。だからこそ、「今、この瞬間」最大限に努力することを諦めない。【前編】
のんびりした生活…とは裏腹に、ひたすらやりたいことに突き進む彼女の原動力とは何なのか。彼女の根幹に迫ります。
病気との闘い。出産。子育て――
そのすべてが、今の自分を見つめ直すきっかけだった。
――元々は客室乗務員のお仕事をされていたんですよね?
どうして富山県黒部市に移り住むことを決めたのですか?
就職して3年ほど経った頃に、突然仕事中に倒れたんです。心臓の病気でした。
これから仕事が楽しくなる時期だったのに…と思う部分はありましたが、仕事を辞める決断をしました。
ちょうどその頃に、当時付き合っていた彼からプロポーズを受け、子どもを授かったんです。
彼となら、病気を抱えながらでも前向きに明るい家庭を築いていけると思い、彼の実家がある富山県黒部市に嫁ぎました。
田舎での生活は、思ったよりも快適でしたね。水もご飯も美味しい。自然の中、家でゆっくり過ごすことが一番の休養になりました。
ただ、そんな中でも「方言の壁」だけは苦労したんです。ご近所さんがなんて言っているのかチンプンカンプンでした(笑)
そうやってコミュニケーションが希薄になっていくことが怖くて、たまたま新聞で目にした『話し方講座』のカルチャースクールに通うことにしたんです。
――その時はどんな思いで通っていたんですか?
とにかく、「未熟な自分をなんとかしたい。自分を変えたい!」という一心でしたね。
結局、その話し方講座をきっかけに、アナウンサーの道へ進むことになったので、人生何があるかわかりませんよね。いろんな出会いと経験が、私を成長させてくれたんだと感じます。
冠婚葬祭の司会、音楽家、ヨガ講師…いろんな肩書があるんですが、すべて私自身に大事な志事です。
「自信がなくても挑戦しようよ、
自分を信じてやってみよう。
自信がないから冒険するんだ、
自分で叶える夢だから」
(なりたいヒーローになろう!より)
――病気になったからこそ、気付けた部分もあるのでしょうか?
そうですね。特に病気をしてからは、『一からのスタートなんだから、何やったっていいじゃない!』と思えるようになってきましたね。
「上手くいかないんじゃないか」とやらない理由をつけて行動しないのではなく、世間体や周りの意見に捉われず、自分の「やりたい気持ち」に素直に行動できるようになったと思います。
――昔からそういう考えを持っていたんですか?
いえ、幼少期はとにかく自信がなく、どもってしまう子でしたね。
でもバレエをやっていたこともあり、強制的にセンターを務めたりして「私がきちんとやらなきゃ!」と覚悟が決まったように思います。
苦手なことから逃げ出すことだけは絶対に嫌で、自分に負けたくなかったんです。どもりを克服するためにコソ練もしましたね(笑)
とにかく、私の人生が、どのタイミングで切り取られても「いいものだった」と思える人生を送りたいんです。
それは私だけでなく、子どもにも言えることです。
「自分の人生は自分で決める!」
子どもから多くのことを学んだ。
――お子さんもいろんなチャレンジを?
娘が15歳のときに、中国にクラシックバレエ留学に行きました。娘自身が決断したんです。
そして、もう少しで卒業…というタイミングで、肺炎に罹り、日本に強制送還されました。瘦せこけた酷い姿だったのを今でもよく覚えています。でも、娘自身はそんな姿でも「踊りたい」とバレエに憑りつかれていました。
その姿を見て、本当に後悔しました。どうしてこの道を進ませたのだろうと。
けれども、娘から「お母さんが私の意見を尊重してくれて良かった」と言われました。
その言葉を聞いて、救われた気がしました。
『リスクも考慮しながら、でも、進むべき道を作ってあげたい!』。そう思いました。
そして、そして娘は17歳で東京バレエ団に入団し、その年に準主役を務めました。娘の頑張りが認められたことが本当に嬉しかったですね。
『自分で決断すること』。これもひとつのポイントだと思います。
どんな選択肢があったとしても、結局決めるのは自分。
だから、言い訳しない。いつも全力で立ち向かっています(笑)
心臓病という重い病をきっかけに、後悔しない生き方を試行錯誤し続ける松倉さん。
彼女の発言や表情がキラキラ輝いて見えるのは、その惜しみない努力の賜物ではないでしょうか。
後編では、彼女のこれからの夢や未来展望を伺っていきます。