インタビュー

私らしく人生を歩みたい―。
そうは思うものの、そもそも「私らしさってなんだろう」と疑問が浮かぶ人もいるはず。
「La-Chic」では様々なフィールドで「私らしく」生きる女性=“ラシカりすと”達にインタビューしながら、読者の皆さんと一緒にそのヒントを見つけていけたらと思っています。

今回のラシカりすと

奈部昌子さん

六月の青い鳥

奈部昌子 さん

理想の暮らしを追い求めて
未来に残したい世界観を築く【後編】

六月の青い鳥をオープンする前までは全国各地でカントリーキルトマーケットというキルトの専門店を経営していたという奈部さん。順風満帆だったキルト店を閉め、富山に戻ってきたのは何故なのか?どうして六月の青い鳥をオープンしたのか、そしてこれからどんな未来を想像しているのか。奈部さんの展望を深堀します。

これからの人生で何を残すのか。
この場所に何が必要か。

―6店舗も経営し、海外からファンが訪ねてくるほど…順風満帆に聞こえますが、何故お店を閉めて富山へ戻ってきたのでしょうか?

60歳を目前に控えたころ、ふと「あと5年で65歳。普通なら定年退職の年になる。お店もちょうど30周年になる。もし定年があるなら、何をしたいか。」と考えるようになったんです。

ずっと東京にいるのか、富山へ戻るのか。

正直なところ、金銭的な余裕もあったので、老後は旅行三昧でもいいかと思いました。
でも「何かを残したい―。」という漠然とした想いもあり、もし何かを残せるならば、それは「富山に残したい」と思うようになったんです。富山へ帰ろうと思い、計画を立て始めました。

富山でお店を開くならば、それまで富山になかったような街中だけど森の中にあるようなカフェを作りたい、地域の人に愛される空間を作りたい…と考えました。

 

―完成した「六月の青い鳥」はどんな想いや狙いがありますか?

お店を建てるときの条件として窓からの景色にこだわりました。土地を買って建物を作るところから計画がスタートし、近くに公園があることを条件に土地探しをしていました。

今、お店は城東ふれあい公園のそばにありますが、窓からは公園の木々が見え、春には桜、新緑、紅葉、雪景色と四季の移り変わりが感じられます。設計やインテリアにもこだわり、アンティークの照明や木材をふんだんに取り入れてます。

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性別や年齢を問わずゆったり過ごせるカフェを中心に、店内には、カントリーキルトマーケット時代の生地や厳選した雑貨を販売しています。また、花屋で働いていた甥っ子が、「もっと勉強したい」と東京の花屋での勉強を経て、Uターンしたこともあり、花屋も併設しました。

そうして、性別も年齢も問わず、いろんな人が来てくれるになりました。世代間を超えて、みんながゆっくり出来る。ゆったり寛いでもらえる空間でありたいと思います。

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新しい挑戦から感じる
葛藤と決断

―「六月の青い鳥」も完成し、全てをやりつくしたという感じでしょうか?

いえいえ、まだまだ考えることはたくさんあります。

例えば、最近は「カフェって何て大変なんだ」と痛感しました。
これまではキルト店しかしたことがなく、カフェの経営は初めてのこと。
カフェの経営というのは、お客さんが1時間・2時間と滞在して、売上は1人1,500円ぐらい。お客様の滞在時間だけでなく、仕込みもあり、営業をして、片付けもして、さらには仕入れ値も変動する。
生地の場合は仕入れや接客、裁断などいろんな仕事はあるものの1m単位の利益率は固定されているので…。「あぁ、生地屋というのは恵まれているんだなぁ」と感じましたね(汗)。

そんな風にカフェの経営を必死にしていると、「富山へ帰ろうと思ったときに描いたのは、この生活じゃない」と気付いたんです。
ごはん屋さんを作りたいのではなく、ゆったりと過ごせる場所を作りたいんだと。

それで、2021年9月にランチ(食事)の提供をやめることにしました。お客様が一時的に離れていったとしても、ゆったり出来る場所を作ることにこだわろう、と。
現在は火曜日限定でゲストランチとして、ゲストシェフがランチ提供をしています。

 

 

一度きりの人生を
心地よく正直に生きる。

―異業種に挑戦したことでやはり大変なこともありますよね。これまでを振り返って、他にも「大変だった」と思い返すことはありますか?

カントリーキルトマーケット時代、神戸阪急に出店していた頃に阪神・淡路大震災がありました。ちょうど神戸阪急へ向かっていた途中で震災が起き、手前で足止めされたので、被災はしなかったものの、お店はひどい有様でした。
途方に暮れていましたが、そのとき本当に人のあたたかさに救われました。気遣ってくれたり、経営面でも配慮してくれる取引先も多かったんです。
いい人に恵まれているんだなぁと気付かされましたね。

この出来事がきっかけというわけではありませんが、普段から「誠実に、そして感謝を忘れないこと」は大切にしています。
趣味で絵手紙をしているですが、お世話になっている方には少しずつですが、絵手紙を通してお礼のご連絡をしたりしてきました。丁寧に表現をすることって大切かなと思います。
東京にいたときも、店舗が拡大していった時も、そして富山に戻ってきてからも、周りの人に助けられて歩んでこれました。人から人へ「ご縁」が拡がっていますし、これにはいつも感謝しています。

 

―一般的な定年である65歳をターニングポイントに定め、次は70代が目前だと思いますが、どんな未来を想像していますか?

近い未来、この店は共感できる誰かに任せて、国内はもちろんのこと、船で世界中を巡りたいと考えています。70代は世界を見て過ごしたいですね。六月の青い鳥を誰がやってくれるかはまだ分かりませんが、この世界観を大切にしてくれる人と出会えるといいと思っています。

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また、今現在も店内の一角にカントリーキルトマーケットがありますが、今でも県外からファンの方が来てくれることもあるんです。ネット販売はしません。同じ生地は探そうと思えば、東京でも買えますが、わざわざこの店に買いに来てくれる人がいるなら、それに応え、心地よい空間を追求していきたいですね。

 


人とのご縁を大切に、そして自分の気持ちにも素直に向き合う奈部さんの姿に、私たちは「いつからでも、いくつになっても、自分が思うように」進む道を選んでいいんだと改めて感じさせられました。

皆さんも自分の気持ちに向き合いたくなったら六月の青い鳥を訪ねてみませんか?

奈部昌子さん
プロフィール

奈部昌子 さん

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六月の青い鳥 オーナー