個性を認める生き方―。
人は誰しも人のためになりたい。【前編】
ヨガの指導のほか、ベビーマッサージ講習会、子どもの能力開発や親子のストレスマネジメント、運動を通して親子のコミュニケーションをはかる活動等に取り組み、日本のベビーヨガの第一人者として現在も活躍の幅を広げています。
幼少期から根が真面目で、任された役割に対しては、周りにいる誰かのために一生懸命勉強することが全く苦じゃなかったという高橋さん。
今回は、なぜ高橋さんが講師の育成に力を注ぎ続けるのか、どんな経歴を経て現在に至るのか、今後の未来展望などをインタビューしました。
16歳の彼女を襲った激痛。
これまでの概念が変わるきっかけが「ヨガ」でした。
まずは、高橋さんの活動の原点ともいえる「ヨガ」との出会いについて。
それは、16歳の頃に彼女に身に起こった、腰痛(ヘルニア)がきっかけだったそう。当初は、「この体は生まれ持ったもの。体質だ」と自分に言い聞かせ、生活を見直すことはなかったそうですが、どうしてヘルニアになってしまったのかと疑問に思い、身体について勉強・関心を持つように。
そうやって調べていく中で、それまで薬やお医者さんに頼っていたものから、【東洋医学】を取り入れるようになりました。東洋医学の観点から、自分が食べてきたもの、姿勢、思考の癖がすべて自分の身体を作る=この体質は自分の生活のせい、という気付きを得たそうです。
そんな中、出会ったのが「ヨガ」でした。流行っていない、認知もない、「ヨガ=怪しい」というイメージの時代でしたが、この「ヨガ」との出会いが高橋さんの一生を大きく揺るがすことになります。
自分の体の不調を改善するために始めたヨガで、みるみる体質が改善し、腰痛も克服。
高橋さんはそんなヨガの魅力にどんどん引き込まれていったそうです。
親だけじゃない。子だけじゃない。
家族丸ごと支援したい。
その後、21歳の頃にヨガの講師アシスタントを務めていた高橋さん。
一方で、プライベートでは、DVで悩んでいる友人・知人が多いことを知ったそうです。傍から見れば明るくて元気で人気者の友人でも、そんな一面があるということに驚いたといいます。
一見、ヨガとの関連はなさそうな出来事ですが、この繋がりこそ、彼女が「講師になるきっかけ」となるのです。
「困っている誰かをどうしたら救えるのか」
――その一心でたどり着いた答えが
【誰か一人を助けるときは、その周りにいる家族丸ごと支援する必要がある】
ということでした。
当時、講師になろうとは全く思ってもいなかったという高橋さんですが、ひょんなことからボランティア活動を開始。地域の子どもたちと自然活動に関わりました。すると、子どもの姿勢や成長・発達が気になり始めたそうです。
そして、「自分が講師になろう」と決意するのです。
必死に勉強を続けたのは、ごく身近な方を助けたい、という想いからでした。
当時はヨガについて発信する人も少なかったため、ブログを書くようになりました。すると、それがどんどん広まり、海外からも声がかかるようになったそうです。
わたしが「育成」に力を入れた理由。
人生は紆余曲折。講師をやめて会社員になろうと考えた時期もあったそうです。
しかし、すでに雑誌やテレビでよく取り上げられていた高橋さんは、周りの期待に応えるべく「もうちょっとやってみよう」と続けてみることに。
そんな折、日本コロンビア株式会社からベビーヨガのDVDを発売する話が飛び込んできました。
それは彼女が29歳のときでした。
DVDを出すなら法人じゃないとダメなのでは?との思いがよぎり、その後急いで法人化。同時に、自分のサロンのプログラムをまとめたDVDも作ったそうです。
当時、一緒に経営していた仲間がいました。ビジネスライクなその仲間こそが、高橋さんに「講師育成」という背中を押してくれた1人でした。人の役に立ちたいという想いが強い高橋さんだからこそ、たくさんの講師を育て、1人でも多くのヨガ人口を増やしたい――。
そしてついに2006年、株式会社ベビーアソシエイトが生まれたのでした。
――後編につづく。